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観光マップ

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聖徳殿前殿 〔県指定文化財〕  
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聖徳太子十六歳孝養像を安置する伽藍。天文10年の全焼後、一番最初に再建されました。江戸時代の寛文5年(1665)に再築され、また、明治43年から、大正5年にかけて従来の太子堂に、法隆寺夢殿を模した奥殿(八角二重円堂)・中殿が増築されました。
さざんか 〔町指定文化財]  
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斑鳩寺庫裏の庭前と玄関脇に、こぶだらけの古木の風格を漂わせた見事な「さざんか」が二本あります。昭和五十六年に町指定天然記念物に指定されました。
鵤藩主池田重利・重政候の墓  
江戸時代前期に鵤村に陣屋を置く、1万石の鵤藩がありました。斑鳩寺の墓所には、藩主2代の墓があります。
鵤荘ぼうじ石 〔県指定文化財〕  
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日本全国に類例のない貴重な文化財です。昔から「お太子さんの投げ石」といって人々から尊ばれ、大切に保管されていました。この「お太子さんの石」は聖徳太子がご講義によって恩賜された。佐勢(現在の鵤)の三百六十町歩の境界石として置かれたものです。1329年につくられた「鵤荘絵図」には12石が描かれていますが、現在は4ヶ所が県指定文化財になり、他にも2〜3の石が残っているようです。 民話・伝承 推古天皇からこの土地を賜った聖徳太子が、はるばるやって来られ、檀特山の頂上からご覧になると、そこは広山の神様の支配地でした。 聖徳太子が土地を明け渡すように言われても、広山の神様はいうことを聞きません。 でも、ついに折れて、「それなら石を投げてみよ。その落ちたところを境に土地を譲ろう。」といいました。 そこで聖徳太子は足下の大岩を持ち上げ「エイ、ヤー」と投げられると、大岩は遥か南の沖まで飛んで行きました。 これを見た広山の神様は驚き恐れて、「どうか小さい石を指ではじいて下さい。」と哀願しました。 聖徳太子は指先でピョイピョイとはじき飛ばしました。それが今に残る「ぼうじ石」(荘園の境界石)です。 その石の落ちた範囲は三百六十町歩の広さに及びました。 大岩は今「投げ石」と呼ばれる御津の沖合岩礁です。 ※下写真は、矢田部のぼうじ石
お幡入れ・法伝哉  
旧鵤庄の太子町平方・東保・東南とたつの市福田に伝わる伝統芸能お幡入れ・法伝哉は、聖徳太子が仏敵物部守屋を討伐した戦勝を祝う様子を今に伝えるものといわれています。 平方法伝哉保存会が太子町無形民俗文化財に指定されています。

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