ぶらり太子通信

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鵤荘ぼうじ石 〔県指定文化財〕  
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日本全国に類例のない貴重な文化財です。昔から「お太子さんの投げ石」といって人々から尊ばれ、大切に保管されていました。この「お太子さんの石」は聖徳太子がご講義によって恩賜された。佐勢(現在の鵤)の三百六十町歩の境界石として置かれたものです。1329年につくられた「鵤荘絵図」には12石が描かれていますが、現在は4ヶ所が県指定文化財になり、他にも2〜3の石が残っているようです。 民話・伝承 推古天皇からこの土地を賜った聖徳太子が、はるばるやって来られ、檀特山の頂上からご覧になると、そこは広山の神様の支配地でした。 聖徳太子が土地を明け渡すように言われても、広山の神様はいうことを聞きません。 でも、ついに折れて、「それなら石を投げてみよ。その落ちたところを境に土地を譲ろう。」といいました。 そこで聖徳太子は足下の大岩を持ち上げ「エイ、ヤー」と投げられると、大岩は遥か南の沖まで飛んで行きました。 これを見た広山の神様は驚き恐れて、「どうか小さい石を指ではじいて下さい。」と哀願しました。 聖徳太子は指先でピョイピョイとはじき飛ばしました。それが今に残る「ぼうじ石」(荘園の境界石)です。 その石の落ちた範囲は三百六十町歩の広さに及びました。 大岩は今「投げ石」と呼ばれる御津の沖合岩礁です。 ※下写真は、矢田部のぼうじ石
お幡入れ・法伝哉  
旧鵤庄の太子町平方・東保・東南とたつの市福田に伝わる伝統芸能お幡入れ・法伝哉は、聖徳太子が仏敵物部守屋を討伐した戦勝を祝う様子を今に伝えるものといわれています。 平方法伝哉保存会が太子町無形民俗文化財に指定されています。
桜井の水  
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旧山陽国道沿いの竹藪にある播磨十水のひとつです。 黒岡にゆききの人も心あらば 薬ともなれさくら井のみつ 赤松広秀「播磨鑑」
松田山古墳  
通称松田山の山頂にある古墳。銅鏡・銅鏃・全国にも数少ない貴重な副葬品である筒形銅器・鉄剣・鉄鏃・鉄斧・勾玉と管玉の首飾りなどが副葬されていました。古墳時代前期のもので、佐用岡を中心とする小さな平野を治めていた首長の墓ではないかと伝えられています。
黒岡神社古墳  
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黒岡神社境内にある、周囲が約50mの片袖式横穴式石室古墳です。古墳時代後期の代表的なもので、石棺が現存する、珍しい古墳です。

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