ぶらり太子通信
- 立岡山・御立阜
- 太子町の地名を記す最も古い文献は、奈良時代の始め、714年につくられた「播磨国風土記」です。 それによると、応神天皇がこの山に登って四方の地を眺め、国見をしたので「御立阜」というと記されています。
- 阿宗神社鎮座地
- 立岡山の北の宮はその昔、欽明天皇の御代(560年頃)宇佐八幡の神霊を奉還し、630年間この地にお祀りしていたのを1190年、内山(龍野市)城主塩津左衛門慰義経が自分の領地広山村に遷座したのが現在の阿宗神社のはじまりです。
- 立岡天満宮
- 祭神は菅原道真。狛犬は特徴があり、阿形の狛犬には頭部にツノがあります。また吽形の狛犬には、股間にオスの表現があります。
- 壇特山
- 弥生時代の頃、屋根筋の最高所に近いところで広い範囲に集落を築いていました。考古学では、高地性集落と呼んで注目されています。 天下の名僧徳道上人の特化の由緒を持つ感動石の伝説もあり、また、その石に打たれて死んだという悪キツネの話もあります。 行道岡・黒駒蹄跡 太子行道の岡ともいいます。山頂に十畳ほどの岩があり、その表面にある無数のくぼみは、聖徳太子の駒の蹄跡と伝えられています。その傍らに昔は駒のつなぎの松がありました。この木が妙なる異香を放っていたので、異香留我(いかるが)の地名がついたとの言い伝えもあります。
- 行道岡・黒駒蹄跡
- 太子行道の岡ともいいます。 山頂に十畳ほどの岩があり、その表面にある無数のくぼみは、聖徳太子の駒の蹄跡と伝えられています。その傍らに昔は駒つなぎの松がありました。この木が妙なる異香を放っていたので、異香留我(いかるが)の地名がついたという話もあります。