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ぶらり太子通信

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松田山古墳  
通称松田山の山頂にある古墳。銅鏡・銅鏃・全国にも数少ない貴重な副葬品である筒形銅器・鉄剣・鉄鏃・鉄斧・勾玉と管玉の首飾りなどが副葬されていました。古墳時代前期のもので、佐用岡を中心とする小さな平野を治めていた首長の墓ではないかと伝えられています。
黒岡神社古墳  
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黒岡神社境内にある、周囲が約50mの片袖式横穴式石室古墳です。古墳時代後期の代表的なもので、石棺が現存する、珍しい古墳です。
山田峠遺跡群  
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山田周辺の山丘の屋根・斜面などには、数多くの弥生遺跡が存在します。山田遺跡・小丸山遺跡・桃畑遺跡・中山遺跡・雁谷山遺跡等で30数個の古墳も確認もされています。なかでも小丸山遺跡で発見された分銅形土製品は珍しいものです。
糸の井  
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朝日山西の山麓にある、清水がこんこんと湧き出ていた泉で、播磨名水のひとつといわれています。朝日山におられた顕実上人の硯水とも伝えられています。 いろいろの木の葉流るる糸の井はゆきき人のしるしとぞきく 顕実上人
大津茂川のお姫様  
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むかし、楯岩城には十歳になる美しいお姫様がいました。 ある、秋の夕暮れ時、二〜三百の敵兵士が攻め込み、見方は無勢で敗北したとの知らせが届きました。 驚いた殿様は、大急ぎでお姫様に逃げるように命じ、お姫様が山を降り、小舟に乗って大津茂川を下り、ちょうど浄因寺の辺りまで来た時、山を見ると、城は焼け落ち、みな討ち死にしてしまっていたのでした。 お姫様は、あまりの悲しさに涙がとめどなく流れ、その涙のなかで優しい里人達との楽しい夏の盆踊りや、秋祭を思い出していました。 「父や母、家来たちのあとを追って死のう。」 そして里人達のために大津茂川の主となって、川の流れが絶えないように守ろうと決心して、大津茂川に身を投げたそうです。 それから、大津茂川に水のかれることはなくなったそうです。 「風土記の里太田民話の伝承 柳沢 忠著」

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